2012年6月21日木曜日

今年の夏は…


今日は夏至。

夏至とか立夏というのは「二十四節気」の一つ。
旧暦の時代、日付と太陽の位置が毎年同じ対応をしないので、太陽の位置をもとにした季節の言葉として、月日と併用して使っていたものです。
…でも、中国黄河地域で使っていた季節の言葉をそのまま使ったので、実際の季節とだいぶずれました。その辺りを気にしないのが日本人らしさ、ですかね。


要するに、夏はこれからです。


しばらく勉強とバイトをして東京で過ごしていましたが、来週からまた、山に向けて出発です。

行き先は…


ヒント1:


おや、この花は…

ヒント2:

このバンドは…




そう!富士山です!!



8月下旬まで、富士山のとある山小屋で働きます。

富士山の山小屋はとても忙しいことで有名。
ピリッとした生活になるでしょう。

例によって、電波は通じますので…。


皆様もよい夏を。


2012年6月15日金曜日

鉛筆書き。

僕が冬を過ごしたのは奥多摩の「七ツ石小屋」だった。




標高1596m。
豊富な湧き水と富士山がよく見えることで知られている、隠れ家的な小屋だった。
薪ストーブでご飯を炊いて暮らした。


テンの足跡。
動物はたくさん来た。
足跡は見られたが、冬の間に姿を見る事はとうとうできなかった。


12月、着いて早々カメラが故障した。低温で湿気が内部で凍りついたためだ。

上の写真は携帯のカメラだけど、雲や天体の写真を撮るには性能が低い。

そこでスケッチをしようと決めた。





小屋は実際傾いている。さすがにこんなにではないが…
同じ鉛筆で描くと、自然物と人工物の境目が曖昧になるのが不思議だ。


雲の記録はたくさんとった。
ついでに毎朝のラジオで天気図を描いた。
それで何が解ったかといえば…何が解っていないかがようやく解ったというか…
例えば雲が目に見えるという事自体そんなに自明のことではないし、白い雲と灰色の雲の違いも何なのだろう…波状雲もきれいな正弦波では決してないし…そんな事を答えを出すでもなく、もにょもにょと考えて過ごしていた。


植物。


オカリナ。
小屋の奥から発掘したもの。結構良い音が出た。
もののけ姫を吹いたら風景と合っていて楽しかった。
ミスチル吹いたら笑えた。



奥多摩編が終わり、休学は終わりに近づいてきた。
もうあのような時間の使い方はできないだろう。ある程度具体的に過ごさなければ…。あのとき芽生えたものがあるならば、どんなに小さくともそれを育てていかなければ。一番の根っこにあるべきものを大切に持って…。


2012年4月28日土曜日


山を下りると初夏だった。



一人で奥多摩の山小屋に篭って過ごしたのは、4ヶ月半。

冬は訪れて、居座って、そして去っていった。

朝起きても氷点下にならないことの方が多くなってきた。最初は新鮮な驚きだった。ああ、もう寒くないんだ、としみじみ思った。けれどしばらくするとそれも普通になった。

ふもとでは桜の花が咲き、キブシやダンコウバイの黄色い花が渓谷を彩りはじめ、今年初めのウグイスの声を聞いたころ、僕の小屋にも新しい小屋番アルバイトの応募が来た。



新しい小屋番が試しということで僕の代わりに来て、5月の連休までは僕は東京で過ごすことになった。
その後また戻ってしばらく過ごすが、もう小屋で一人きりというわけにはいかない。
一区切りはついて、これからはまとめに向かう時期だ。



東京に戻ると、一週間あまり曇りや雨の日が続いた。

花曇というように、東京の春の空は低い雲に覆われることが多い。理由は二つあって、春になると海からの風が吹き込みがちになることと、雲や霧の核となる人間由来のエアロゾルが多いことだ。

そんな天気ばかりだったので、星を見ることも忘れていた。


久しぶりに晴れた今日、きれいな月と金星が見えた。
江戸川区の広い道路を西に向かって自転車で走りながら、ああ、久しぶりだな、と思った。

公園ではハナミズキの大きな花が枝一面に咲いていた。



休学して得たものは何だろうか。

自然の中の生活で、身体、そして感受性は多少なりとも変わったような気はする。
当初目指していた段階に達しているかはさておき、それは本当に必要なものだったと思う。

長いリハビリを経て、ようやく自分の足で歩くことを覚えてきた。
そんな感じだ。
たぶん大事なのは、これからだ。


まあしかし、何だかんだで都会の生活は豊かですばらしい。
寒くはないし、川を渡れば賑やかな街もある。
買い物に行って、好きな料理も作れる。銭湯にも行ける。好きな音楽だって何でも聞ける。
ああ、エレカシが聞きたいな。




2012年3月1日木曜日

折り返し点

東京マラソンの翌日に、東京に帰ってきました。
今回は4泊5日の休暇です。

隅田川の橋や、上野駅の路上の歌手や、神保町の古本屋の匂い。
東京での時間を、大切にかみしめるようにして過ごしました。

まるで旅行中のような気分でした。



小屋での生活も半分過ぎました。
そして休学もちょうど半分。


休学中にやっていたこと、考えていたことを、文章にして何らかの形で伝えようと試みていましたが、果たしてそれほど必要なことだったろうかという気にもなってきました。

自分の行為が世界の誰に影響するかなんて、実はあまり重要ではなかったのかもしれない。

山野井康史さんの文章なんかを読んでいたら、そんなふうに思えました。


書きためてきたものはありますが、それをブログ等にするかどうかは、これからの気分しだいです。
会ったときの自分の姿そのもので表現していればいいや、という気もします。


奥多摩の山にはまだ雪が積もっていますが、厳しい寒さはもう過ぎました。
これから少しずつ春が来るのでしょう。

忙しくなってきます。

それではまた。